国指定史跡 小島陣屋跡
一万石大名が築いた城郭風の陣屋
宝永元年(1704)、松平信治が駿河国庵原郡小島に陣屋を構えたことが小島藩の始まりです。
小島藩は、明治元年(1868)に上総国(現在の千葉県)に転封になるまでの164年間、安倍・有度・庵原の三十カ村を支配する一万石の譜代大名として、この場所で藩政を展開しました。
小島藩は城を持つことができない一万石の小藩でしたが、その居所である陣屋は西側から南側にかけて石垣を多用した3段の曲輪を形成しており、大手口は高さ4mに達する石垣が見られるなど、小城郭風を思わせる造りとなっています。
このように、城郭を思わせる石垣が良好に残るなど江戸時代中期における大名陣屋の在り方と構造を知る上で貴重であることが評価され、平成18年7月28日に国指定史跡に指定されました。
石垣の撮影位置図
をクリックすると石垣の画像が表示されます。
№ | 名 称 | 石垣の高さ(m) | 説 明 |
---|---|---|---|
① | 大手石垣 | 3.1~4.8 | 高さ4mの高石垣が築かれている |
② | 枡形虎口 | 1.5~2.5 | 城郭と同様、外敵が進入しにくい構造となっている |
③ | 大手門北側石垣 | 1.2 | |
④ | 主郭南西から | 3.6 | 『切込み接ぎ』という積み方で造られている |
⑤ | 主郭東側角 | 2.2~2.7 | 『切込み接ぎ』という積み方で造られている |
⑥ | 主郭南側下段から | 石垣を多用した3段の曲輪を形成している | |
⑦ | 西側の石垣 | 1.3~1.5 | |
⑧ | 井戸跡 | 1.8~2.0 |
小島藩御殿建物(静岡市指定文化財)
明治元年(1868)、小島藩が千葉県に転封された後、小島陣屋跡は静岡藩が管轄し、明治7年には小島陣屋跡敷地内に小学校が設けられました。陣屋にあった御殿は校舎の一部として利用されてきましたが、昭和3年に小学校の移転に伴い、建物のほとんどが取り壊されました。
しかし、御殿の一部・書院は国道沿いの別の場所に移築され、地元の公会堂として使用されてきました。陣屋の御殿建物が現存する例は全国的にも少なく、貴重な存在であるとして平成13年1月10日に市指定文化財に登録されました。
御殿書院は、史跡小島陣屋跡整備事業の一環として、令和4年度から6年度にかけて、解体をして小島陣屋跡内に移築復原されました。
アクセスマップ
■車: 国道1号静清バイパス興津インターチェンジから国道52号を北に約3.7km、小島南交差点を左折■バス: JR興津駅「三保山の手」線 「小島南」で下車し、徒歩7分